True or False
何が正解かかを探すことより、何処まで許されるかを探す癖がついている。
元をただし始めればキリがない。
だったらボーダーラインを計った方がよっぽど楽なのだ。
特に俺たちは頼りなく渡された縄を渡るのが仕事なのだから。
これが正しくないことをまた、理解している。
「潮江、」
呼ばれて意識を戻した。
俺が腹に圧し掛かったまま、首に手を掛けている男は、口からとろとろと黒い血を流しながら手を伸ばす。
「また、病気か」
問われ、真っ白になった頭が冷静になる。
前髪に指が触れた。
「……また」
反芻しようと食満の言葉を口にして、骨を砕くわけでもなく息を止めきるわけでもなく、それでも相手の首に絡んだ指から力が抜けていないことに気付いた。目の前の男を殺したいわけではないのに。
ひゅう、とどこかに引っかかったような細い息を漏らして、持ち上げられた腕が落ちる。
「苦しい」
吐き出すような言葉。
瞼が下ろされ、緩く月明かりを反射していた瞳が見えなくなる。
指に力が入ると、気だるそうに再び目が開いた。
「いい、加減、酸欠に……」
潰れかけた言葉は、文句を連ねながらそれでも「やめろ」とはいわない。
親指の先で喉仏をなぞると、ひくりと艶かしく喉が動く。もう一度名前を呼ばれた。
「何でお前の方が苦しそうなんだよ」
食満は普段俺に見せない、後輩に向けるような無駄に優しい笑みを作って小さく咳き込んだ。
「何かしてやりたいと思うのは、俺の傲慢か?」
逃げ出そうともがく沼の淵で、足を捕まれたような絶望的な気分になった。
いっそ罵られた方がましだ。
どうしてこの男は此処までも残酷なのか。
薄く笑えば眉間に皺を寄せられた。いよいよ気が狂ったのかと思われたのかもしれない。
「別に助けて欲しいわけじゃねぇよ」
目を伏せてようやく指を解いた。薄闇の中でも、白い首にはっきりと赤い指の跡。
急に広くなった呼吸に食満は咳き込みながらそれでも俺に視線を向けるので、顔面を手の甲で払うように一発殴った。
手についた男の顔を汚していた赤いものを舐め取ると、改めて睨みつけられる。
可笑しくなって、俺はまた笑ったのだと思う。
他人に求めることが的外れなのを知っていながら、理解されたいと空を掻く手で誰かに触れたいのだ。
傷つけるしか出来ないと知りながら。
そもそも前提として指を伸ばす方向を間違っているのだから、その手が他人に触れることなど永遠にない。
「助けられる気がねぇだけだろ馬鹿野郎」
お節介が余りにも正しいことをいったので、本当にどうしたらいいのか分からなくなった。
目の前の男の全てが欲しいのかもしれないけれど、俺のと関係性だけでこいつの人格が構成されているわけではないので、そんなこと到底無理だと分かっている。
手で顔を覆う。自分のものではない血の匂い。それすら甘ったるく感じる程度には自分は病気だ。
血の匂いには酔っても、食満を傷つけたいわけではないはずでも、他に方法を持っていない。
自分をこいつに深く刻む術など。
「俺が命を差し出せば満足なのか?」
言葉に息を思考が停止した。
自分の手が作った完全な影の中で目を見開く。
「違うよな」
ため息の混じった声がして、手首を引かれた。
「お前どんだけ俺が好きなんだよ」
強い目で見られた。
常であったら自惚れるなと切り捨てるような言葉に、それでも否定を返せない。
「殺したいんだろ。殺して俺の全てを奪いたいんだろう」
何かいおうとしたけれど、唇が震えるばかりで言葉にならない。
食満も言い訳は聞きたくないとばかりに首を横に振る。
「でもそこで立ち止まる程度にはお前はまだ人間なんだな」
搾り出されるように投げ捨てられた言葉が不自然に揺らぐ。
平静を保っていた食満の表情が急に歪んだ。
「……なぁ、足掻くお前に触れたいと思うことは俺の傲慢か?」
絶望的なほど救いようがない。
互いの間に横たわる明確な境界線を消したがっているのは俺だけではなかった。
自分が諦めれば済む問題ならば、どれだけよかっただろう。
「殺したら、その瞬間に全部終わってしまうだろが」
いったらどうしようもなく笑えてきた。
永遠に手に入らないのならば、誰のものにもならないようにしてしまいたいと思わないこともない。
俺がこいつに抱く殺意はそういう部類のものだ。
最早抱きしめるだけでは満足出来ない。
「俺以外見るな、触るな、関わるな。そんなこと、いえるか馬鹿」
己を巣食う異常な独占欲を知りながら、離れることをしないこいつもまた異常だ。狂っている。
剰え、食満は応える方法を探している。最悪だ。
それは霧に霞むタイトロープ。先にあるものがよくないものだと知りつつ、けれどその輪郭が見たくて歩を進める。
「お前は身勝手だ。俺が苦しい、助けてくれとでもいえば満足か?」
捕まれていた手を振りほどいて、その手を床に縫いつける。
あぁ、最期を刻み付けてしまえば、刹那俺の全ては報われるだろう。
お互いの言葉は此処が行き止まりで、その先などない。
だから会話は仕舞いで、視線だけ行きかう。
いえるはずがない、出来るはずがない。
――いっそお前に殺されることを望んでいるなど。
「愛してるなんて安い言葉で済むなら、どれだけよかったか」
言葉にすれば、それは余計に胸を焼いた。
けれど俺より食満のほうが泣き出しそうな顔をしていたので、口づけた。
生きている血の味。それが酷く愛しい。
許容範囲を探すふりをして、正しさから目を反らした。
間違えていることを、俺たちが一番よく知っていた。
.txtのゆいや様のフリリク企画の時頂いた物です!
DVもんけまリクしていました。想像以上に格好よくて素敵で…
クレバスの間にかけた縄の上を歩くような危うい感じにどきどきします。
私が言葉足らずで惜しい限りです…なんといえばいいのかよくわからない。
ゆいや様ありがとうございます!