その日、会計委員会質はギャラリーで溢れ返っていた。 月末で、各委員会が月締報告書を持って来るため、普段よりも賑わいがあるのは毎度のことだが、それだけが理由ではなかった。 しっかりと繋がれた右手と左手。彼らの間に置かれた算盤の珠は光のような速度で弾かれている。提出された報告書の数字を早口で読み上げていく会計委員長と、少しでも遅れてなるものかと意地になって珠を弾く用具委員長。 初めこそ犬猿の仲の二人が手に手を取り合って共同作業をしているという珍しさから人が集まっていたが、今ではその神業を見るために人が寄って来て、きり丸が勝手に売っているチケットを片手に列を成しているのだ。 「どうだ!」 「四五一二だ!」 「よし次!」 あれだけのスピードで珠を弾きながら、一文もミスすることなく計算を合わせていく留三郎の姿は「何故会計委員にならなかったんだ」と多くの生徒たちに思わせただろう。 「あーっ、もう! 見世物じゃないんだから散った散った!」 披露される神業の数々に歓声をあげるギャラリーを必死で追い払おうとするのは、四年生の会計委員である田村三木ヱ門だ。 普段喧嘩ばかりしているとは思えないほど抜群のコンビネーションを見せ、次々と報告書を片付けていく二人がいれば、確かにいつも以上に早く仕事は終わるだろう。だが、計算を合わせるだけが仕事ではない。その後も会計委員にはやるべき仕事はたくさんあるのだ。それだというのにこの調子では、捗るものも捗らない。 「もーっ! 誰か何とかしてくれぇーっ!」 悲鳴を上げてその場に崩れた三木ヱ門は、パチンとした小気味のいい音に振り返った。 「三七三。間違いない」 「よし、終わった!」 「ああ、次行くぞ」 繋いだ手は離さず、息もぴったりで立ちあがった潮江文次郎と食満留三郎は顔を見合わせ、会計委員会室にたむろしていた生徒たちを追い払うように、空いている手でしっしとジェスチャーする。 「あ、あの……先輩方、一体どちらへ……?」 慌てて三木ヱ門がそう声を掛けると、文次郎が「あぁ?」と声を上げた。 「会計委員の仕事が片付いたら、用具委員の仕事に決まってんだろ」 「こいつのせいで、障子の張り替えがまだ終わってないんだ」 「後はお前らだけでも大丈夫だろ。悪いが急ぐんでな」 思わず手を伸ばした三木ヱ門であったが、文次郎はその手ではなく、繋いだ留三郎の手をくいと軽く引いて「行くぞ」と促した。 「お前らもさっさと散れ。用具委員会にまでついてきたら承知せんからな」 ことの始まりは、喧嘩だった。 深夜から明け方にかけて、何が原因かは不明であるが五年生の忍たま長屋で喧嘩が起った。いつの間にやら関わりの深い者同士が組んで戦いを始めたそれは、喧嘩というよりは大乱闘。大乱闘というよりは小戦争のようなものであった。たった数時間で長屋の壁やら天井を破壊した五年生たちは、勿論学年全員で修復が命じられた。それが三日前。 足りなくなった障子の紙が学園に届き、残りの張り替えが用具委員に頼まれたのが今日の放課後。用具委員の面々に声を掛けたものの、補修授業や野外実習、学園長のおつかいと、どうやらそれぞれが忙しいらしく、結局一人で障子を張り替えることになったのが二時間前。 自分一人に補修作業が任せられることは少なくない。すっかり慣れてしまった状況の下、次々と綺麗に仕上がっていく障子に気分を良くして、ふんふんと鼻を鳴らしていた留三郎に、文次郎が声を掛けた。 「よぅ、留三郎」 「何だ文次郎」 障子を張り替えながら、少しも顔を上げずにそう返事をした留三郎の頭をべしんと文次郎が叩いた。 「月締報告書の提出がまだだ! 委員長自ら取りに来てやったんだから、さっさと出せ!」 叩かれた勢いで、たったいま張り替えた障子にぶすりと指を刺してしまった。できるだけ早く済ませてしまいたいと思っていたのに、こいつが現れると碌なことがない。こういうときは相手をしないに限る。うっかり喧嘩でもしてしまったら、仕事が長引いてしまう。ぐっと握った拳をほどいて、留三郎は破ってしまった障子紙を丁寧に破いていく。 そんな留三郎の内心に気付くことなく、ぐりぐりと留三郎の頭を撫で回す文次郎に、ついに右手が動いた。 「今はそれどころじゃねーんだよ! クソ文次郎がっ!」 「それどころじゃねーだと?! 今日中に終わらせねぇといけねぇんだよ、こっちは!」 留三郎の右拳を左手で受け止めた文次郎は、右拳を繰り出しながら叫んだ。それを同じように左手で受け止めた留三郎であったが、存外力が入っていなかったのか、文次郎に流されてしまった。 しまった。と、思ったときには既に遅く、留三郎の左手と文次郎の右手は、重なったまま糊の入った桶へとダイブしていた。 ゆっくりと桶から手を取り出し、文次郎の顔を見る。糊の感触に眉を顰めていた文次郎の表情が「あれ?」といったものに変ったのを見て、留三郎は「あぁ、やっぱりな」と溜息を吐いた。 「おい、手ぇ離せよ、クソトメ」 「離れねぇんだよ、アホ次郎」 「何でだよ」 「用具委員特製の超強力瞬間接着糊だ。無理に剥がそうとすると、皮膚が破れるぞ」 「はぁぁっ?! 何でそんなもん使ってんだ!」 「自分一人で作業するときは、すぐ終わらせるために使ってんだよ!」 ぶんぶんと手を振ってみても離れるわけがない。湯で柔らかく解していかなければ絶対に剥がれない。 「ど、どうすんだよこれ……」 「まだ風呂は沸いていないしな……とりあえず行くぞ」 「行くぞって、何処にだよ」 「俺の部屋。用具委員の月締報告書を持って、会計委員の仕事を終わらせないといけねぇんだろ?」 張り替え作業の道具を片付けながら留三郎が言う。「でも、手はどうすんだよ」と返した文次郎に、留三郎は笑みを返した。 「俺の右手と、お前の左手があれば十分だろ」 会計委員会室で仕事を済ませ、文次郎と留三郎は五年生の忍たま長屋の障子を張り替えていた。 「ったく、お前が余計なことをしてくれるから」 「いいんじゃねぇのか、たまには」 「はぁ?」 「こんなことでもなきゃ、学園内で堂々と手なんて繋げねぇからよ……」 留三郎が見た文次郎の横顔は、赤く染まっていた。繋いだ手からその熱が伝わったのか、「そうだな」と呟いた留三郎の頬も赤く染まっていた。 090517 大神様から誕生日プレゼントに頂きました!
手を繋ぐって本当に萌える事ですね…。 喧嘩無しではそんなささやかな事さえまともにできない二人だからこそ こんな事が大切で、大変甘く感じる物だと思います。 大神様素敵な宝物をありがとうございます! |